ブログ「秋田犬 さくら」を楽しみに見てくださっているみなさまへ

 

9月7日日曜日午前8時50分、さくらが亡くなりました。

そして9月8日、湯沢市内の誓願寺にて、家族でさくらを見送ってきました。

 

突然のことで、私たち家族も驚くとともに、悲しさ・悔しさ・寂しさ・やりきれなさ…

いろんな気持ちをまだ整理できずにいます。

 

いつもブログを読んでくださっているみなさまには、

8月末からさくらが亡くなるまでの数日をここに記します。

 

気持ちの整理がついたら、

未公開の写真やさくらの思い出話など綴っていこうと思います。

それまで、少し時間をください。

 

さくらのおかげで、

秋田県だけではなく日本中から、海外の方からもメッセージをいただいたり、

お会いできたり、お友だちになったり…数えきれないほどの出会いがありました。

 

今は、このブログを読んでくださるお一人お一人にお礼を言いに行きたいくらい感謝しています。

本当にありがとうございました。

 

みなさまに可愛がっていただいて、さくらは本当に幸せな秋田犬でした。

 

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■8月25日月曜日。

さくらの首(アゴ下)にゴルフボール大のしこりを左右2個見つける。

 

■8月26日火曜日。A動物病院へ。

このとき、さくらの様子に変わったところはなく、それが命にかかわるようなこととは夢にも思っていなかった。

薬を処方される。

翌27日より服用を始めるが、1日に数回嘔吐するようになる。

 

■9月2日火曜日。夕方の散歩を嫌がる。

まったく歩こうとせず、車に乗せていつものグラウンドへ。

芝生の上でオシッコをしてすぐ帰宅。

 

■9月3日水曜日。この日、フードを残す。

嘔吐を繰り返すことが気になり、A動物病院へ。

吐き気止めの錠剤を処方される。

 

■9月4日木曜日。フード全く食べず。

元気なくやっと散歩する様子。

午前中、店の中で目を白黒させてへたり込む。

A動物病院に電話するも休みのため、B動物病院へ。

経過を説明。A動物病院からもらった薬について、ひとつひとつ丁寧に説明を受け、

取り急ぎ手当はないとのことで、そのまま帰宅。

 

■9月5日金曜日。食欲はまったくなし。水をたくさん飲む。朝は、やっと散歩。

ハウスから店に歩いてくるのもフラフラしていて、息づかいも辛そう。

友人よりC動物病院を紹介される。

 

C動物病院でこれまでの経緯を説明し、まずは全身を触診。歯茎を見て、貧血を指摘される。

おそらく縦隔型リンパ腫もしくは白血病、それもかなり進んだ末期の状態であろうと言われる。

(私の記憶が確かならば、です。かなり動揺してしていました)

 

血液検査の結果、数値について丁寧に説明を受け、やはり当初の見立てのとおりの病名であろうとの診断。

血小板の数値が低いため手術は不可能。

輸血する方法もあるが、あまり効果はなく、薬での緩和ケアになると。

体力が落ちた今、副作用のある抗がん剤は勧めないとも。

私はこの段階になっても、さくらは重病でないと信じて疑わず、

医師の「末期」という言葉が「近い死」に繋がるのだということが頭の中でうまくリンクせず、

頭と気持ちの整理がまったくつかない状態だった。

 

「さくらの身体が死に向かっている」と頭の中でやっと理解できたとき、

もはや私にとって病名などどちらでもよく、

ただひたすらに痛み・苦しみをやわらげ、少しでも元気になってほしいと願うのだった。

 

「あとどれくらい生きられますか」

という私の問いに、医師は「その犬次第」とはっきりと余命宣告しなかった。

まさか、さくらに限って。今日明日死ぬと言うことなどありえない。

その犬次第?ならば、もしかして、弱りながらも1年2年生きてくれるかもしれない、

頭の中でそんな都合のよいことばかり繰り返し考え、

しかし、それでも私は、こぼれ落ちる涙を止めることができなかった。

 

A動物病院から処方された薬のうち、

服用を続けるもの、やめるもの、食事においての注意を受け、

8日間薬を服用ののち、再度血液検査をするとのことで帰宅。

 

食欲はまったくなく、ひたすら水を飲むさくら。

オシッコをガマンしているだろうと、夕方の散歩は夫が抱きかかえて、家から数十メートルの空き地へ。

しかし、草むらに伏せてしまい、オシッコどころが立ち上がれないさくら。

そんなさくらを見ていると、涙があふれて止まらなかった。

その夜から、さくらは、外のハウスではなく、店の中に寝かせた。

その日、たまたま店に来ていたDさんから「福島県にとてもいい動物病院がある」と聞く。

 

■9月6日土曜日。

早朝、Dさんから福島県E動物病院を紹介される。

車に乗るのが好きなさくら。

藁にもすがる思いで、(福島まで連れて行ってもいいとも思い)その病院に電話してみる。

E医師に、これまでの経緯を最初から聞いていただく。

結論から言うと、さくらの様子からかなり悪い状態であることは間違いないであろうと。

対応としては、C動物病院の言うとおりで間違いないとのこと。

 

E医師は、秋田犬はそもそも、家族とともに暮し、家族が食べるときに一緒に食べ、

家族と一緒にいるのがいちばん幸せな犬である。

だから飼い主のそばに置いて、最期まで一緒に食べ、一緒に暮らすのが一番だと。

このE医師との会話で、いよいよさくらの最期を覚悟。

あとはどういうふうに最期を迎えるか。痛み苦しみを少しでも和らげ、楽にしてあげられるか。

自己満足かもしれないが、いかに悔いなきように送ってあげられるか。

 

朝、馬肉と鶏ガラと野菜のスープをスポイトで口に流し込む。

それからしばらくして、少し元気になったように見え、日中自分で歩いて寝場所を変えたりする。

顔をあげて明るい表情をすることもある。

昼、また馬肉とスープを口に入れこむ。

しかし、午後全部吐き出す。昼食べた分は多かったか。

 

夕方の散歩は、自分でハウスまで歩く。

ハウスの縁の下に座り込み、水を多く飲む。

オシッコをする様子はなく、その場で薬を飲ませ、抱きかかえてまた店に。

夜は夫が深夜1時頃まで添い寝する。

 

■9月7日日曜日。

辛そうに呼吸している。

顔をあげるのもやっと。首に力が入らないようである。

かなりの量の水を飲んでいるので、夫が抱きかかえ、娘と3人で、いつもオシッコをする草むらに連れて行く。

草むらに着くまで、夫に抱きかかえられ、何度も白目をむいて頭がグラッとなる。

さくらと呼びかけると、正気に返り、また白目をむくの繰り返し。

予想どおり、オシッコはできず、そのまま連れて帰る。

これまでうつぶせでいられたのが、横たわるようになり、いよいよ苦しそう。

ときどき、何かに呼ばれたように上半身を起こそうとし、ガクッと首を落とす。

 

■8時50分。

呼吸がゆっくり止まった。

私が名前を呼んでさくらを抱きしめると、一瞬ピクッと動いた。

それが最期。

目を開けたまま、さくらの身体から、だんだん温もりが失われていった。

午後、さくらのために、花を買いに出かけた。

Facebookでいつもさくらを見てくれている花屋さんは、

「さくらちゃん、毛がぜんぶぬけました?Facebookで見てますよ!」

と言ってくれた。

私はさくらが亡くなったとは言わず、あいまいに返事をした。

作ってもらった花束は、ピンクのお祝いの花。

さくらにはしみったれた色は似合わない。

かわいい明るい花を供えてあげたいと思った。

 

帰ると、C動物病院を紹介してくれた友人が来てくれた。

C動物病院を紹介したあと、どうなったか気になって来てくれたのだ。

その友人も、まさかさくらが亡くなっているとは思わず驚いていた。

そして、「さくらはすごい。ギリギリまで痛みも見せず、頑張ったね。」と言ってくれた。

何かさくらの不調を訴えるサインがあったのか。

今思えば、散歩であまり長い距離を歩きたがらなくなったのも、時々フードを残すのも、

イビキをかいて寝るのも、全部病気のせいだったのかもしれない。

8歳になって、すっかりおばあちゃんになっちゃったと私たちが笑って話していたそばで、

さくらは痛みをこらえていたのだろうか。

もし、もう少し早く、7月に気がついていたら。

もし、いや、せめて春に気がついていたら。

もし、ちゃんと健康診断をしてあげていたら。

もし。もし。もし…。

いろんな「もし」が、あらゆる「もし」が頭の中を駆け巡る。

考えても考えても、いろんなことが頭の中を巡り、答えには届かない。

早い時期に発見し、抗がん剤等の治療をし延命すれば、果たしてそれはさくらにとって幸せだったのか。

それは誰にもわからない。

夕方、「いつもどおり散歩に行ってくる。」と夫がカメラをぶら下げ、出て行った。

さくらと毎日歩いたさくらの好きな道。

さくらと出かけると20分もしないうちに帰る夫は、今日は30分経っても帰らなかった。

いつもと変わらない景色を見ながら、ひとり泣いているのかもしれないなと思った。

まるで眠っているかのような穏やかな顔です。

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